礼儀・道徳

礼儀に気をつける

 世の中は礼儀で立って行くものです。人に対しては恭敬(きょうけい)の念を失わず、礼儀を正しくしなければなりません。礼儀が正しくないと、人には不快の念を起こさせ、自分は品位を落とすことになります。

 細井平洲(ほそい・へいしゅう)は、若いときから礼儀を正しくすることに努めた人でありましたが、年をとるにつれて、人品は、いよいよ備わり、一度平洲に会った者は、時がたっても、その上品な様子が目に映って忘れられなかったということです。

 わが国では、昔から礼儀作法が重んぜられ、外国の人から、日本は礼儀の正しい国だと言われてきました。時勢は変わっても礼儀作法の大切なことには変わりはありません。私たちはいっそう注意して、国民としての品位を落とさないように心がけましょう。

 人の前に出る時は、頭髪や手足を清潔にし、着物の着方などにも気をつけて、身なりをととのえなければ失礼になります。

 人と食事をするときは、みんなで楽しく飲食するように心がけ、食器の類を荒々しく取り扱ったり、さわがしく物音を立てたりしないようにしましょう。また、部屋の出入りには、よく落ち着いて、人の妨げにならないようにし、戸の障子の開閉なども、静かにしましょう。

 汽車・汽船・電車・自動車等に乗ったときには、人に迷惑をかけないようにすることはもとより、不行儀なふるまいをしたりしてはなりません。ことに集会の際には、この心得を忘れてはなりません。また、人の顔かたちや身なりなどをあざわらったり、とやかくいったりするのも、固くつつしむべきことであります。

 外国の人に対して礼儀に気をつけ、親切にすることは、文明国人たる者の心がけるべきことであります。

(第四期 尋常小学修身書 巻五)


公徳を守る

 乃木希典

(のぎ・まれすけ)

 公園の樹木を折りとったり、堀や壁に落書きをしたり、人ごみの中で人を押しのけて進んだりするのは、公徳心に欠けた行いです。公園の樹木を折る人も、隣の庭の花はとらないでしょう。また、どんな人ごみの中でも、知り合いの人を押しのけるようなことはしないでしょう。知り合っている間では決してしないことでも、見ず知らずの人の間となると平気でするのは、つまり自分が公衆と一体の生活をしているという考えがなく、このようなことをしては恥ずかしいと感じないからです。私たちは、みずからつつしんで、知っている人に対しても、また、知らない人に対しても、決して迷惑をかけるようなことをせず、つねに公衆の一人として、何事をするにも公衆のためを考えて、世の中の幸福を進めるように心がけなければなりません。

 乃木希典(のぎ・まれすけ)大将が学習院長であったとき、大将はつねに生徒に、少しでも人の迷惑になるようなことをしてはならないといいきかせました。そうして、自分も決して人の迷惑になるようなことはしませんでした。

 ある日、大将は電車に乗って上野へ行きました。ちょうど雨降りで、大将の来ていた外套(がいとう)は雨にぬれていましたので、社内で人から席をゆずられても、ただていねいにお礼をいうだけで、腰をかけようとはしませんでした。大将についていた人が、外套を持ちましょうかといいましたが、それも断って、ずっと上野まで立ったままで行きました。

 人々がたがいに公徳を重んずれば、世の中の秩序はととのい、みんな楽しく生活することができます。世の中が開けて、汽車・汽船・電車・自動車・飛行機等の乗り物の便がよくなり、図書館・博物館等が各地に設けられ、公園も諸所につくられてきますと、これらの公共の物を利用する場合が多くなりますから、私たちはいっそう注意して、公徳を守らなければなりません。

(第四期 尋常小学修身書 巻五)


公衆道徳

 私たちは知っている人と知らない人との区別なく、だれにでも迷惑をかけないようにし、一般の幸福を増すようにはからなければならない。このように人が公衆の一人として、公衆のためを考えて行動するのが公徳である。

 左側通行が十分に行われたら、こみあう場所でも安心して通行ができる。また、道路・公園等が清潔に保たれて、ガラスの破片や紙くずなどがちらばっているようなことがなかったら、だれでも気持ちよく感じるであろう。また、公衆のために衛生の心得が十分に守られたら、忌むべき伝染病の流行をふせぐことができよう。人々がめいめい心がけて公徳を守れば、社会はだんだん住み心地のよいところになる。これに反して集会の時刻どおりに出席してもまだ人が集まらず、電車・汽車等に乗っても座席を広くとられ、また旅館に泊まっても夜おそくまで隣室でさわがれるというように、一般に公徳が守られなかったら、人々はたがいに不便を感じ、社会は不愉快なところになるに違いない。考えてみると、私たちも学校の行き帰りに、友達同士が広くもない道をいっぱいに並んで歩いて、知らず知らずのうちに往来を妨げるようなこともある。今からはいっそう公徳を守って、公衆の迷惑とならないように心がけよう。

 古来わが国には、親類・知友と親しくし、隣近所とたがいに助け合う美風がある。四海同胞の考えさえ早くからあったが、実際には、見知らぬ人となるととかくこれをひややかな目で見る傾向があった。これは見知らぬ人と自分とが関係のあることをさとらず、人々が公共の生活に慣れなかったためである。自分とは何の関係もないように見えるあかの他人でも、実は皆、協同一体の生活をなしているのである。たとえば道で行き合う人でも、電車や汽車に乗り合わせた人でも、同じ市町村に住む人であり、そうでなくとも広く見れば同じわが国民であって、等しく公共の交通機関を利用している者である。それゆえ私たちはたがいに思いやって公徳を守り、わが国の社会をますますりっぱにするように努めよう。

 公徳を守るには、自分が公衆の一人として公衆の中にあることをつねに念頭におき、だれに対しても好意と礼儀をもって接し、決して勝手気ままなふるまいをしてはならない。また社会の風習を重んじ、自分の苦痛・不便は忍んでも、世の人の苦痛・不便を少なくするように心がけることが大切である。近来、公園・図書館・公会堂等が多く設けられ、その他交通上の使節等公衆の用に供するものがふえてきた。私たちは十分これを利用すべきであるが、誤って他人の利用を妨げ、あるいは不快の念を与えるようなことがあってはならない。

(第四期 高等小学修身書 巻一) 


社会生活と秩序

 社会の秩序を維持することは、共同生活をなすうえにもっとも大切な要件であって、人々はこれによって平和な生活を営むことができるのである。秩序のある社会は、健康な身体のようなものである。国家社会の繁栄を望む者は、どうしても秩序の維持に努めなくてはならない。

 法律は、主として社会の秩序を維持するために存する。風俗習慣もまた社会の秩序を維持するために必要なものである。私たちは、法律に従い、風俗習慣を重んじて、国家社会の秩序を維持しなければならない。このように私たちが秩序を維持するのは、すなわち国家社会の生存の要件であって、国民としてつくすべき当然の務めである。もし秩序を害する者があるときは、国家社会は少しも容赦せずにこれに制裁を加えなければならない。これは国家社会の自衛のために必要なことである。

 多数の人が共同の動作をする場合には、秩序を守ることがとくに大切である。多数の人が、善良公正な目的をもって、穏当な手段によって行動するならば、社会の改良をはかり、公益を広める大事業も成就するものであるが、大衆の会合はとかく気焔(きえん)が上がり、狂躁(きょうそう)に流れやすいものであって、一歩を誤るときは、国家社会の秩序を害することが起こりがちである。それゆえ、衆人と共同して事をはかるときには、たとえ正善の目的から出るにしても、決して秩序を乱さないようにとくに注意すべきである。

 言論は社会公衆に大きな影響をおよぼすものであるから、社会の秩序を害する恐れのある詭激(きげき)な言論は、深くいましむべきである。言論の自由は国民の享有するところであるが、秩序を害しない範囲に限られているのであるから、その点について十分な注意を要する。

 各人の自由はもとより尊重すべきものであるが、自由を重んずるあまり、秩序を破ってかえりみないのは許すべからざることである。秩序を乱すような自由は、真の自由ではない。それゆえ、隆盛な国家にあっては、一方では各人の自由が重んぜられると同時に、一方では秩序が重んぜられるのを常とする。これをもって見ても、秩序は国家の進捗に必要なことが明らかである。

 秩序を維持するのに必要なのは、従順の精神である。法律や善良な風俗習慣を遵守するばかりでなく、長上(ちょうじょう)を尊敬してよくその命に従うべきである。長上を尊敬してよくその命に従うのは、謙譲の美徳を表すものであって、また社会の秩序を維持するに欠くことのできない要件である。もし従順の精神がないときは、共同生活をまっとうすることができず、そのために国家の衰運を来(きた)すに至るであろう。

 風俗習慣を重んずるのは大切であるが、これに拘泥(こうでい)して社会の進歩をはかることを忘れてはならない。たとえ風俗習慣となって久しく伝わってきたものであっても、明らかに道理にもとるものは、これを改めるがよい。ただし、その手段を考えて決して急激に流れないように注意すべきである。

(第四期 高等小学修身書 巻三)